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内藤繁子(ないとうしげこ・1800〜1880)は、幕末の大老井伊直弼(いいなおすけ)の実の姉にあたり、延岡藩主内藤政順(まさより)に嫁ぎました。彼女は『源氏物語』をすべて書き写し、注釈を加えたり文学の素養が豊かで、絵や和歌にもたくみな大変教養のある女性でした。
江戸時代、大名の正室は江戸に住むことを強制されていましたが、文久2年(1862)になると、幕府は規制をゆるめ国元に住むことを許可したのです。延岡藩内藤家でも先代藩主の奥方である繁子を国元に住まわすことにしました。
文久3年4月6日に江戸藩邸を出発、まずは東海道で大坂を目指し、大坂から船で延岡(宮崎県)に向かいます。しかし、繁子は江戸生まれの江戸育ち、内心では遠い延岡に行くことは不満だったのでしょう。旅の様子を記した旅日記の題名を『五十三次ねむりの合の手』と少し沈んだ調子で表現しています。とは言え、旅日記からは繁子が道中名物を味わったり、土産を買ったりと、それなりに道中を楽しんでいた様子がうかがえます。ちなみに後年江戸に帰る時の道中日記は、『海陸返り咲ことはの手拍子』と明るい表題です。
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