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内藤繁子と「くらわんか餅」

掲載日2009年5月16日
大名夫人の旅

内藤繁子(ないとうしげこ・1800〜1880)は、幕末の大老井伊直弼(いいなおすけ)の実の姉にあたり、延岡藩主内藤政順(まさより)に嫁ぎました。彼女は『源氏物語』をすべて書き写し、注釈を加えたり文学の素養が豊かで、絵や和歌にもたくみな大変教養のある女性でした。
 江戸時代、大名の正室は江戸に住むことを強制されていましたが、文久2年(1862)になると、幕府は規制をゆるめ国元に住むことを許可したのです。延岡藩内藤家でも先代藩主の奥方である繁子を国元に住まわすことにしました。
 文久3年4月6日に江戸藩邸を出発、まずは東海道で大坂を目指し、大坂から船で延岡(宮崎県)に向かいます。しかし、繁子は江戸生まれの江戸育ち、内心では遠い延岡に行くことは不満だったのでしょう。旅の様子を記した旅日記の題名を『五十三次ねむりの合の手』と少し沈んだ調子で表現しています。とは言え、旅日記からは繁子が道中名物を味わったり、土産を買ったりと、それなりに道中を楽しんでいた様子がうかがえます。ちなみに後年江戸に帰る時の道中日記は、『海陸返り咲ことはの手拍子』と明るい表題です。


枚方(ひらかた)名物「くらわんか餅」

京の伏見から大坂までは淀川を下る船旅です。その途中の枚方では、くらわんか船が有名でした。この船は「酒くらわんか、餅くらわんか」と言いながら、淀川を行き来する乗合船にこぎよせるのです。彼らが旅人に売る「くらわんか餅」は、14代将軍徳川家茂(いえもち)をはじめ多くの旅人に食べられていました。
 繁子もどんなものかと興味津々の様子、そこにくらわんか船の登場です。船人は繁子の乗る船と縄でつなぐと、大声で「餅も酒も早ふくらへ」と汚い言葉づかいで呼びかけてきます。酒を頼むと、「入れ物を寄こせ」と横柄な言いようです。串ざしの餡餅つまり「くらわんか餅」を頼んで、ひとつ食べたところ「こげくさくいやな匂ひして、あまくもなく、ちゃりちゃりと口中に当たり」、ふたつとは食べられぬ代物と感想を記しています。この時、居眠りをしていた侍女を起こして、餡餅を食べさせました。そして感想を聞いたところ、「至極おいしい」と答えたので、皆から寝ぼけているとからかわれています。しかし、侍女にとっては、おいしい餡餅だったのかも知れません。実際、「くらわんか餅」の味は、どのようなものだったでしょう。繁子の侍女がおいしく感じたように、食べる人の嗜好の違いによって感じ方に差があったのでしょうか、今となっては謎です。



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