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小林逸翁と饅頭二話

掲載日2009年2月16日
雅俗饅頭

阪急電鉄、阪急百貨店、宝塚歌劇団などの阪急東宝グループの総帥、小林一三(いちぞう)(1873-1957)は、実業家としての顔だけではなく、逸翁(いつおう)の名で茶人としても知られています。
電力の鬼と呼ばれた実業家の松永安左ヱ門と親しく、彼の紹介で薬師寺管長の橋本凝胤(ぎょういん)との交流も始まります。大阪府池田市にある旧宅の雅俗山荘内において、逸翁が亡くなるまでの121回、橋本管長の講話を含む茶会、薬師寺会が催されました。逸翁の友人、家族、親戚が集う楽しい会であったようです。
昭和32年(1957)1月25日、翌日の茶会の準備を楽しみながら終えた逸翁は、その夜突然、心臓の病で召されました。茶人逸翁を偲び、祥月命日、雅俗山荘内の茶室「人我亭(にんがてい)」において、逸翁美術館主催の逸翁忌追慕茶会が開催されています。今年で52回目を迎えるこの茶会のお菓子には、山荘の名にちなんで「雅」の印を押した雅俗饅頭という白い薯預饅頭が使われます。この饅頭は彼の好物の大福を作っていた和菓子店のものです。


小麦饅頭

彼がお茶に興味を持つきっかけを作ったのは、三井銀行大阪支店時代の上司で慶応義塾の先輩でもある高橋義雄(箒庵 そうあん)によるところが大きいといわれています。箒庵は当時20歳過ぎの抵当係であった逸翁に、担保の茶道具、書画の管理を命じ、査定の立ち会いや、取り扱いの実務を行なわせました。これにより逸翁の審美眼は高まり、お茶に関心を持つようになります。
箒庵が三井呉服店改革のため東京に戻ったあと、逸翁は元上司からの転職の誘いもあり、今後の進路の相談を箒庵に求めました。一連の動きを知っていた後輩思いの箒庵は、それを諌める書状を送りました。結局、彼の斡旋で名古屋に転勤しました。
それから約30数年後、逸翁は東京電燈など、東京での実業家としての活動とともに、茶道にも力を入れ、俗と雅の生活が始まります。赤坂山王近くの東京の自宅に、二畳台目の茶席をつくり、昭和6年(1931)12月15日、逸翁初の茶会が催されました。正客は箒庵です。そして席の床にかけられた軸は、かつての上司であった正客が逸翁を諫めて書いた手紙だったのです。懐石のあと、この席で出されたお菓子は小麦饅頭でした。小間でもあり、恐らく蒸したてのものが供されたと思います。季節は冬。正客は心に体に温もりを感じたことでしょう。



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