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江戸幕府13代将軍徳川家定(1824-58)は、12代将軍家慶の四男として生まれ、嘉永6年(1853)、父の死によって将軍職を継ぎました。
父の死去直前には、ペリーが来航して幕府に開国を迫り、以後外国の圧力が強まって、攘夷運動が広がっています。そうした情勢下でも病弱な家定は、充分な指導力を発揮できませんでした。
家定は将軍になる以前、二人の妻に先立たれましたが、安政3年(1856)に近衛家の養女という形で、島津家から篤姫を御台所に迎えています。婚儀の折には、縁起物の「五百八十之餅」が徳川・近衛両家から用意されました。記録ではそれぞれ七つの荷に分けられて運ばれていますが(『続徳川実紀』)、実際に五百八十個の餅が用意されたのでしょうか、興味のあるところです。2年に満たない夫婦生活でしたが、篤姫は夫の死後も徳川家のために力を尽くしています。
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