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世外の茶事記録を読んでいると、菓子選びにもこだわりがあったことが分かります。
まず明治45年(1912)3月、興津(現静岡県清水区)での茶会では、雛祭りにちなみ、手製の蓬饅頭が用意されます。上巳の節句の厄除けから蓬を使ったのでしょう。懐石道具も雛道具のような小さな器を用いたと記されています。
同年4月4日、自らの喜寿祝賀会の薄茶席では、自筆の喜の字が打ち出された紅白の干菓子を用意しています。
圧巻は大正2年(1913)11月、加賀の客人を招いての麻布内田山自邸での茶会です。茶道具、懐石の器と呉須赤絵揃え、菓子は紅葉した柿の葉に熟れた柿を思わせる『熟柿形』を取り合わせた秋色尽くしです。さらに中立ち後、席へ戻ると床には唐絵、牧渓(もっけい 南宋時代頃)の「栗柿の絵」が掛けられていたのです。ここまでくると取り合わせへの執念というしかありません。
齢を重ね、様々な経験を通して、すべてを知り尽くした上でのこうしたこだわりは、むしろ、くどさや、可笑しみを越えた、純粋さ、崇高ささえも感じさせてくれるのではないでしょうか。
参考文献:
井上馨侯伝記編纂会『世外井上公伝』第5巻 内外書籍
※ 写真は熟した柿を表現した『木練柿』(とらや製)
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