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家茂が長州攻めのために大坂城にいたとき、正室和宮と天璋院は何度か菓子を贈りました。慶応2年(1866)には、和宮からは色とりどりの落雁(和宮の項参照)、天璋院からは猩々羹(しょうじょうかん)、難波羊羹、唐饅頭と記録されています。
猩々羹は紅色の羊羹、難波羊羹は甘さ控え目の羊羹とも考えられます。『守貞謾稿』では「浪華羹」として紹介されており、名前に反して江戸にはあって難波(大坂)になく、砂糖の量は煉羊羹の半分程だったとか。
また、唐饅頭にはカステラ風生地の饅頭と、堅い生地で中が空洞になった干菓子タイプの二種類がありますが、天璋院が贈った唐饅頭は、江戸から大坂までの日数を考えると後者だったのではないでしょうか。ちなみに堅い生地の唐饅頭は現在、宇和島など愛媛県一帯で作る店が多く、しっかりした歯応えのある、個性的な饅頭として知られています。
それぞれの味の違いが楽しめ、日保ちもよく、和宮が贈った菓子とも種類が違うなど、天璋院の気配りがうかがえる組み合わせといえるでしょう。
しかし、ほどなく家茂は大坂で病没、2年後には徳川幕府の終焉を見届けて天璋院は江戸城を去ることになるのです。
参考文献:『続徳川実紀』
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