本文へ

とらやホームページへ とらやグループ トップページ
とらやホームページ とらやオンラインショップ
メインメニュー
PRODUCTS
とらやの和菓子
とらやの和菓子づくり
とらや和菓子用語集
SHOP&SERVICES
店舗一覧
虎屋菓寮のご案内
和菓子オートクチュール
KNOWLEGES
年中行事と和菓子
とらやの伝統と文化
菓子資料室 虎屋文庫
CORPORATE
会社のご案内
ニュースリリース
採用情報
SITE INFORMATION
新着情報
お問い合せ
サイトマップ
歴史上の人物と和菓子
前へ 次へ

菓子資料室 虎屋文庫
虎屋文庫資料展
歴史上の人物と和菓子
成尋と饅頭
室生犀星と幼少時代の菓子の思い出
林鶴梁(はやしかくりょう)と月の雫
山中共古(やまなかきょうこ)と東京の菓子
杉木普斎(すぎきふさい)と小豆餅
与謝野晶子と羊羹
荒木村重と饅頭
樋口一葉と粟餅
那須与一資徳と饗応菓子
ペリーと接待菓子
仰木魯堂と葛餅
馬琴と汁粉
長宗我部元親と砂糖の贈り物
アーネスト・サトウとカステラ・羊羹
鏑木清方とよかよか飴売り
屋代弘賢と雛菓子
武野紹鴎が食べた半分の饅頭
エドワード・モースと餅
酒井忠勝と菓子昆布
小金井喜美子と粟餅
徳川家茂と葛水・黄金水の砂糖水
石川啄木とかき氷
寺島良安と達磨隠
益田非黙と水羊羹
名越左源太と葛煉り
西洞院時慶と嘉祥のきんとん
ケンペルと将軍綱吉から下された菓子
黒川武雄と空の旅
樋口一葉と雪の日の汁粉
喜多村信節とどら焼・金つば
岩原謙庵とこぼれる菓子
エドワード・モースと文字焼
高杉晋作と「越乃雪」
藤原道長と蘇
酒井伴四郎と月見団子
大和田建樹と故郷の菓子
喜田川守貞と柏餅
松永耳庵とお手製の菓子
井原西鶴と日本一の饅頭
伊達政宗と煎餅
八代目桂文楽と甘納豆
深沢七郎と今川焼
本多雖軒と桜餅
寺島蔵人とかい餅
原三溪と菓子
紀伊国屋文左衛門と饅頭
山科言経と「栗粉」・揚げ饅頭
牧野富太郎とドーラン
内藤繁子と「くらわんか餅」
三島由紀夫と打物の菓子
ゴンチャローフと菓子
小林逸翁と饅頭二話
川崎巨泉(かわさききょせん)と饅頭喰い人形
森山孝盛と羊羹の味
大久保藤五郎と三河餅
滝沢馬琴と大仏餅
前川千帆と「偲糖帖」
鏑木清方と甘いもの
富岡鉄斎と「白ういろ」
井関隆子と菓子いろいろ
源頼朝と矢口餅
徳川家定とカステラ・饅頭
谷宗牧と蕨餅
井上馨と熟柿形
坂本龍馬と金平糖
ハリスと接待菓子
夏目漱石と切山椒
徳川吉宗と白雪こう
永井荷風(ながいかふう)と全国銘菓
荒木田久老(あらきだひさおゆ)と草餅
吉田兼好とかいもちひ
天璋院(てんしょういん)と唐饅頭
馬越化生と新濱千鳥
エドワード・モースと奇妙な菓子
日蓮(1222-82)と粽・青ざし
前田利鬯(まえだとしか)と辻占昆布
恋川春町(こいかわはるまち)と粟餅
小堀遠州(1579〜1647)と十団子
石黒况翁と蓬(よもぎ)求肥
小林一茶と栗
貝原益軒と柚餅子、砂糖漬
黒川武雄と小形羊羹
工藤平助と輸入砂糖
大田南畝と氷餅
森茉莉と有平糖
徳川家茂(とくがわいえもち)−虎屋の将軍家御用と摺針餅
根津嘉一郎と「ほかほか」お菓子
宮沢賢治と菓子
水野忠邦と蓬が嶋
芥川龍之介と汁粉
道元禅師と饅頭
土御門泰邦と安倍川餅
伊勢貞丈と葛切
和泉式部と母子餅
高橋箒庵と栗鹿の子
近松門左衛門と蕨餅
エドワード・モースと辻占煎餅
寺田寅彦と金平糖
三世中村仲蔵と江戸前の団子
屈原と粽
中勘助と駄菓子
近衛家煕と栗粉餅
益田鈍翁とお菓子
十返舎一九と菓子
古田織部と織部饅
幸田露伴と菓子製法書
徳川吉宗と桜餅
谷崎潤一郎と羊羹
北原白秋とカステラ
聖一国師と酒饅頭
笠森お仙と団子
富岡鉄斎と虎屋饅頭
鳥居清長と松風
大岡越前守と幾世餅
正岡子規と牡丹餅
明智光秀と粽
徳川吉宗と安倍川餅
山東京伝と米饅頭
井原西鶴と嘉祥の菓子
内田百けんと菓子
千利休とふの焼
岩崎小弥太とゴルフ最中
馬琴と菓子
井伊直弼と千歳鮨
平賀源内と和三盆糖
光格上皇と虎屋の菓子
森鴎外と饅頭茶漬け
渋沢栄一と虎屋の菓子
清少納言と餅餤
良寛と白雪こう
皇女和宮と月見饅
徳川綱吉と麻地飴
夏目漱石と羊羹
徳川家康と嘉祥
徳川慶喜と引き菓子
蓬が嶋と近衛内前公
吉良義央とカステラ
尾形光琳 -元禄の華-
隠元禅師と寒天
松尾芭蕉と
「ところてん」
清少納言とかき氷
源頼朝と十字
紀貫之と「まがり」
紫式部と椿餅
2代目市川団十郎と
外郎
グルメな黄門様
織田信長と金平糖
虎屋所蔵展
メインナビゲーションへ

前田利鬯(まえだとしか)と辻占昆布

掲載日2007年2月16日
大聖寺(だいしょうじ)藩最後の藩主

前田利鬯(1842〜1902)は、金沢藩の支藩、大聖寺藩の最後の藩主です。明治維新後は藩知事を経て華族に列せられ、東京に移住して宮内省に勤めることになりました。
藩主時代には、政情についての意見を藩内から広く集めるなど、藩政に力を入れた利鬯ですが、一方で書画や茶道、能楽に造詣が深いことでも知られます。


仕事の合間にお菓子を楽しむ

利鬯が41歳の明治14年(1881)、東北鉄道(現在のJR北陸本線)敷設推進運動のため、帰郷します。その際記したのが『御帰県日記(ごきけんにっき)』で、金沢や能登半島を精力的に巡回したことを綴っています。
もちろん仕事だけではありません。多忙な日程を縫い、書画を揮毫したり、家族へ手紙を送ったり、知人宅へ茶会に出かけたことなども書いています。
なかでも頻繁に出てくるのが食べ物です。帰郷途中、石動(いするぎ=富山県)では、昼食に種を抜いた西瓜が出されました。利鬯はそれを菓子と見違えるのですが「妙趣」と感心したり、本家の前田邸で出された栗餡がけのきび団子を「美味ニシテ雅品」と言っています。恐らく自身美食家だったのでしょう、訪れた先々で出されるものを楽しみにしていた風が日記の端々から感じられます。


辻占昆布(つじうらこんぶ)に見た未来

明治15年、利鬯は故郷での活動を終え、東京に戻ります。その途中、今庄(いまじょう=福井県)の宿でのできごとです。夕食に酒の肴として辻占昆布が二つ出されました。中に入っている占いの紙を利鬯が開くと、ひとつには「花サク時ヲ待ツガ良シ」、もうひとつには「大願成就スル」とあり、きっと鉄道敷設の願いが叶うと喜びます。辻占とは、一般に占い紙入りの菓子のことで、現在では小麦煎餅のものが知られます。
この時は残念ながら鉄道敷設に到りませんでしたが、17年後明治32年(1899)、北陸本線が開通します。時間がかかったものの、利鬯の願いは実現したといえましょう。



前へ 次へ

ページの先頭
TORAYA English Web Page 著作権について 個人情報保護方針 免責事項

Copyright © 2000 TORAYA Confectionery Co., Ltd. All Rights Reserved.