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一茶は、文化9年(1812)50歳の時、家を継いでいた弟と和解し、疎遠であった故郷に永住を決意します。当時、周辺の北信濃地方には江戸の文化が流入し、特に裕福な商人や豪農の人々の間で俳諧が盛んでありました。そのような背景もあり、門人や俳友も増え、隣接した小布施にも門人を訪ねたということです。代表作ともいえる 「痩かへる(蛙)まけるな一茶 これにあり」
は同地の岩松院で詠まれたものです。
また、小布施といえば栗が有名ですが、江戸時代、小布施の栗は統轄する松代藩により管理され、厳選されて将軍家へ献上するのを例年の習わしとしていました。献上が終わるまでは持ち出しが出来なかったため「お留め栗」と呼ばれていました。一茶も
「拾われぬ 栗の見事よ 大きさよ」
と、「お留め栗」の句を詠んでいます。真っ先に拾いたくなる、大きく立派な栗であるが、庶民には叶わないという悲哀が感じられますが、暮らしに密着し、さらりと風刺する作風がよく表われているといえましょう。
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