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武雄が残したノートや随筆、社内掲示などから、武雄がいかに多くの菓子を考案したかを知ることができますが、現在も作り続けられている菓子も少なくありません。最も代表的なものは小形羊羹でしょう。
当時羊羹は、現在大棹と呼ばれている一棹1.5キロほどの大きさが普通で、コンパクトなサイズのものはありませんでした。武雄は小形羊羹のアイデアを思いついたときのことを、著作『新々羊羹と人生』(私製本)の中で以下のように記しています。
「大正時代のことである。六大学の野球をよく見に行った。野球が終わってゾロゾロと帰る道すがら、よく考えた。こんな大勢の人達にたやすく買ってもらえるお菓子を作りたい、と思った。夢にさえ考えた。
たまたまフランスのコティの香水をもらった。大きさもよし、化粧箱も簡単であり、清楚である。これだ、この大きさだと思いついて、羊羹の小さいのがよい。・・・」
こうして羊羹を小さく切る道具を工夫し、「夜の梅」と「俤(おもかげ)」という二種類の羊羹を一本ずつアルミ箔で包んで、小さな箱に入れた小形羊羹が、昭和5年(1930)に発売されました。一箱15銭で当時としてはなかなか高価なものではありましたが、好評を得たようです。羊羹を小さくするというアイデアは「わたしが永いこと苦労して考えた小形羊羹を売り出したら、二ヶ月もたたぬ間にどこかで、小形羊羹を売り出した」と武雄が嘆くほど、すぐに真似をされ、現在では一般的なものとなっています。
フランスの香水から想を得ただけあって、発売当時の小形羊羹は清楚でいながらどこか華やぎのあるパッケージで、このデザインは戦争をはさんで昭和37年(1962)まで使われ続けました。
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