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工藤平助と輸入砂糖

掲載日2006年7月16日
工藤平助と砂糖の輸入

工藤平助(1734-1800)は、和歌山藩医の家に生まれ、後に仙台藩医となった人物ですが、政治や経済などを論じた経世家としても知られています。彼は前野良沢や大槻玄沢などの蘭学者と親交があり、彼らを通じて多くの海外事情を得ていました。そうした知識をもとに幕府に献言も行っており、なかでも有名なのがロシアの脅威と対策を論じた『赤蝦夷風説考』でしょう。赤蝦夷とは当時、ロシアを意味する言葉でした。
工藤平助が活躍した時代は、田沼意次が幕府の実権を握り、田沼時代とも呼ばれています。田沼意次と言うと賄賂政治家としてあまり評判は良くありません。しかし、意次の貿易振興策や積極的な経済政策によって、経済が進展して、活気のある時代でした。
 天明年間(1781〜89)のはじめ工藤平助が田沼意次に提出した意見書に『報国以言』があります。外国との密貿易の弊害などを書いたものですが、なかに菓子の材料となる砂糖に関する記述が見られます。献言の主旨は、砂糖の輸入によって多くの財貨が海外に流出するので、流通機構を改変して、価格を上昇させて使用量を抑制しようというものです。
当時は国産砂糖の生産がやっと広がり始めた頃で、1830年代以降に見られた国産砂糖の生産量増大の前の時代です。輸入砂糖の使用にも厳しい目が向けられていたのでしょう。ここでは、当時の砂糖の輸入と使用状況について『報国以言』から紹介しましょう。


輸入砂糖の使用状況

『報国以言』によれば、一年間に輸入される砂糖は、上等な氷砂糖と太白砂糖が、それぞれが12〜3万斤(1斤=600グラム)と1〜2万斤。品質の落ちる中白砂糖は250万斤の輸入でした。
中白砂糖の内、半分以上の150万斤は江戸で消費されていました。150万斤の内、三分一を菓子屋が使い、あとは「下賤の者」の食料、小児のなめものになっていたということです。
 平助は、日本人は全体的に砂糖を良く使い「下賤の者」でも、異国のものである砂糖を味噌塩同様に、「日用の慰みの食物」にしていたと書いています。ここから高価な輸入品の砂糖使用が一般にまで広まっていた様子がわかります。
 江戸における中白砂糖使用のうち、菓子屋の需要が三分一程度であったということですが、砂糖と言えば菓子とつい考えてしまいますので意外な感じがいたしました。ただ、中白砂糖以下の品質のものや黒砂糖を加えると、事情は変わってくるかもしれません。ちなみに江戸料理は甘みを特徴としているので、思いの外料理にも砂糖が使われていたのでしょう。
菓子に使われる砂糖でも、氷砂糖や太白砂糖は「貴人方御菓子料に」なると記されているので、高級な菓子となって、公家や大名などに食べられていました。こうした菓子は上菓子と呼ばれ、他の菓子とは区別されていました。菓子の原材料である砂糖の使われ方にも、色々あったようです。
工藤平助が国を憂いて書いた献言書が、はからずも砂糖の利用状況を今に伝えてくれます。



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