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工藤平助(1734-1800)は、和歌山藩医の家に生まれ、後に仙台藩医となった人物ですが、政治や経済などを論じた経世家としても知られています。彼は前野良沢や大槻玄沢などの蘭学者と親交があり、彼らを通じて多くの海外事情を得ていました。そうした知識をもとに幕府に献言も行っており、なかでも有名なのがロシアの脅威と対策を論じた『赤蝦夷風説考』でしょう。赤蝦夷とは当時、ロシアを意味する言葉でした。
工藤平助が活躍した時代は、田沼意次が幕府の実権を握り、田沼時代とも呼ばれています。田沼意次と言うと賄賂政治家としてあまり評判は良くありません。しかし、意次の貿易振興策や積極的な経済政策によって、経済が進展して、活気のある時代でした。
天明年間(1781〜89)のはじめ工藤平助が田沼意次に提出した意見書に『報国以言』があります。外国との密貿易の弊害などを書いたものですが、なかに菓子の材料となる砂糖に関する記述が見られます。献言の主旨は、砂糖の輸入によって多くの財貨が海外に流出するので、流通機構を改変して、価格を上昇させて使用量を抑制しようというものです。
当時は国産砂糖の生産がやっと広がり始めた頃で、1830年代以降に見られた国産砂糖の生産量増大の前の時代です。輸入砂糖の使用にも厳しい目が向けられていたのでしょう。ここでは、当時の砂糖の輸入と使用状況について『報国以言』から紹介しましょう。
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