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森茉莉と有平糖

掲載日2006年5月16日
文豪森鴎外の娘として誕生

森茉莉(1903〜87)は、『雁』『舞姫』などの作品で有名な文豪、森鴎外の長女として、明治36年に東京・千駄木で生まれました。文壇でのデビューは遅かったとはいえ、昭和32年(1957)、父親への愛をつづった「父の帽子」が日本エッセイスト・クラブ賞、昭和50年、長編「甘い蜜の部屋」が泉鏡花文学賞を受賞しており、ほかにも「贅沢貧乏」「どっきりチャンネル」などのエッセイが知られます。作家としては恵まれた境遇でしたが、私生活では2度の結婚に破れており、晩年はつつましく一人で暮らし、孤独のうちに84歳で亡くなりました。貧しい中にも精神的貴族生活を貫いて書かれたエッセイには耽美的なものも多く、独特の雰囲気を漂わせています。「お菓子の話」もその一つでしょう。


昔の記憶を呼び起こす有平糖

父親が宮中から持って帰った煉切(ねりきり)、常用にしていた半生菓子などについて語っていますが、森茉莉が特に心惹かれていたのは有平糖(あるへいとう)の花菓子だったようです。有平糖とは16世紀にポルトガル、スペインとの交流を通じてもたらされた南蛮菓子の一つ。その名は、ポルトガル語のアルフェロア、あるいはアルフェニンなどの砂糖菓子からきているといわれます。江戸時代後期には、彩りも華やかで形も様々な有平糖が工夫され、贈答品としても好まれました。現在も、雛菓子やお茶席の干菓子として時折見かけますが、森茉莉の少女時代には、かなり凝ったものが作られていたようです。
エッセイでは「想い出の菓子」として有平糖の花菓子(花束にしたもの)に触れ、「(有平糖でできた)桜の淡紅,葉の緑、牡丹の真紅なぞが、きらきらと透徹り、ヴェネツィア硝子か、ボヘミア硝子の、破片(かけら)のように光った」と書いています。仏文学に傾倒していた森茉莉にとって、有平糖は、フランスの代表的作家プルーストが心を寄せるプティット・マドレェヌ(貝形の焼菓子)のようなものでした。紅茶に浸したマドレェヌが遠い日の記憶を呼び起こすように(プルースト作『失われた時を求めて』より)、有平糖は彼女に幼年時代の香しい想い出を蘇らせてくれたのでしょう。晩年が孤独だっただけに、「有平糖は私のプティット・マドレェヌ」という言葉が心に響きます。
*写真は様々な有平糖の絵図



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