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家茂の京都・大坂行きの道中では、各地で様々な食べ物が献上されました。多くは家来に下げ渡されましたが、「安倍川餅」や大坂の「喰らわんか餅」などは自ら食べています。二度目の上洛の際立ち寄った摺針峠(滋賀県)の「摺針餅」もその一つで、家茂は餅を堪能した後、さらにもう一箱を次の宿泊地へ送っておくように命じています。気に入って、もっと食べたくなったのかもしれません。ちなみに餅を商っていた望湖堂は琵琶湖を見下ろす絶景の地にあり、大名も立ち寄る立派な建物でした。
この後京都、大坂へ向かった家茂ですが、江戸に戻ることなく21歳の若さで病没します。将軍の道中を楽しませた摺針餅も、俵形の餡餅という伝承はあるものの詳細は不明で、現在は幻の名物となってしまいました。
参考文献:『続徳川実紀』
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