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忠邦は老中(1828〜31)に昇任する2年前、所司代として京都に赴任しており、和歌、蹴鞠などに熱中していたようです。公家文化への造詣が深かった忠邦は、光格上皇に気に入られたのでしょうか、文政10年(1827)には「蓬が嶋」を下賜されています。(虎屋の修学院御幸関係の御用記録より)
菓銘の「蓬が嶋」とは、中国の伝説上の理想郷ともいわれる蓬莱山(ほうらいさん)を指します。中に小饅頭が入っているところから別名「子持饅頭」とも呼ばれ、現在では結婚、出産など慶事に広く利用されています。
江戸後期の当店絵図帳を見ると、当時の「蓬が嶋」には20個の小饅頭が入っていたことがわかります。一方、上皇から忠邦が賜った「蓬が嶋」には50個もの小饅頭が入っていました。一尺(約30cm)四方の台の図も描かれていることから、かなりの大きさだったと想像できます。
数年後には厳しく贅沢を禁じる立場になる忠邦ですが、このような特製の蓬が嶋を賜り、どのような思いで賞味したのでしょうか。
*写真「蓬が嶋」…現在の蓬が嶋
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