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道元禅師と饅頭

掲載日2005年11月16日
饅頭伝来と道元

饅頭の日本伝来については、鎌倉時代説と室町時代説の二つがあり、長い間室町時代説が多くの人々に受け入れられてきました。両説とも伝承が中心で、饅頭伝来を直接的に裏付けることが出来ません。しかし、鎌倉時代の日本の僧院において、饅頭が食べられていたことが、道元の著述によってわかります。
道元は、日本に曹洞宗を伝えた人物として知られています。内大臣を父に持つ貴族の出身で、出家して最初は比叡山で仏法を学びました。その後、仏法に対する疑問を解くために、修行を重ね、貞応2年(1223)には宋に渡っています。各地に高僧を訪ね見聞を広め、大悟(悟りの境地にいたること)を得て、安貞元年(1227)に帰国しています。
道元は、自らの信じる教えを強固に広めようとしたために、他宗から迫害を受けてしまいすが、ますます精力的に説法を繰り広げていきます。彼の教えは「只管打坐」(しかんだざ:ただひたすら打ち座る)という言葉に表わされているように、座禅に重きをおいています。また、就寝から起床、洗顔や食事を含む日常のすべても修行の一環としてとらえ、細かな規律を定めています。


饅頭の食べ方

道元には『典座教訓』(てんぞきょうくん)ほかたくさんの著作があります。なかでも『正法眼蔵』(しょうぼうげんぞう)は道元の23年間にわたる言行などを集めたもので、曹洞宗の根本聖典です。その中の「看経」(かんきん:1241年)では、国王の誕生日を祝う法要について説明しており、点心として饅頭を食べる作法も記しています。
それによると饅頭6・7個を椀に盛って、箸を添えるとあります。当時は饅頭を食べるときには箸をもちいたのでしょうか、饅頭を食べるときに箸を使う記述は、鎌倉・室町時代の他の記録にも見られるので、一般的なことだったようです。また、宋の寺院の例を引いて、信者から饅頭が届けられた時には、もう一度蒸して僧達に供すると書かれています。理由は清めるためであり、蒸さないものは、僧には供さないとあります(「示庫院文」(しこいんぶん):1246年)。日本でも同じように饅頭を蒸すことを求めているのです。清浄が第一ですが、やはり饅頭は蒸した方が美味しくもあったと思います。
当時の饅頭がどのようなものであったかははっきりしませんが、最初は餡なしの饅頭で、のちに調理した野菜を餡にして菜饅頭とよばれ、小豆餡が考案されたのは時代が下がると思われます。
饅頭の鎌倉時代伝来説には、聖一国師が博多にもたらしたというものもあり、また日蓮の書状にも饅頭の異称である「十字」の名が見えます。



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