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屈原と粽

掲載日2005年2月16日
中国ゆかりの粽

5月5日の端午の節句で、粽を食べるのが楽しみという方も多いでしょう。私たちに馴染みある菓子ですが、実は中国の悲劇の英雄、屈原(くつげん・紀元前4〜3世紀頃)にちなむ逸話から生まれたといわれます


悲劇の英雄

楚の王族であった屈原は、博識の上政治的手腕にも優れていたため、王に信任されて要職に就きます。しかし他の官僚の妬みにあい失脚、最後には長沙(現在の湖南省)に左遷されてしまいます。
王に見放された屈原は、楚の未来を憂いつつ汨羅(べきら)の淵に身を投げ、失意のうちにその一生を終えました。


粽誕生伝説

6世紀に成立した『続斉諧記(ぞくせいかいき)』は、屈原の死後について次のように記しています。
 屈原の入水後、その死を悼んだ里人は、命日の5月5日に供養として竹筒に米を入れ、汨羅の淵に投げ込みます。しかしある時、屈原の霊があらわれ、こう訴えました。
「淵には蛟龍(こうりゅう=龍の一種)が住んでおり、投げ込んだ供物を食べてしまう。厄除けに楝樹(せんだん)の葉で包み、五色の糸で巻けば蛟龍は食べないであろう。」
それから里人は教え通りに供物を作るようになったといいます。
これが粽の始まりだといわれます。


端午の節句と粽

屈原の命日でもある端午の節句は、もとは穢れを払う日で、日本でも平安時代には厄除けに粽を用意するなど、様々な行事が行なわれてきました。
そして、江戸時代には武家社会で子孫繁栄を重視する考え方が広まり、この日に男子の健やかな成長も願うようになりました。粽も引き続き使われましたが、葛や外郎を使った甘い菓子としても工夫されるようになりました。



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