|
6世紀に成立した『続斉諧記(ぞくせいかいき)』は、屈原の死後について次のように記しています。 屈原の入水後、その死を悼んだ里人は、命日の5月5日に供養として竹筒に米を入れ、汨羅の淵に投げ込みます。しかしある時、屈原の霊があらわれ、こう訴えました。 「淵には蛟龍(こうりゅう=龍の一種)が住んでおり、投げ込んだ供物を食べてしまう。厄除けに楝樹(せんだん)の葉で包み、五色の糸で巻けば蛟龍は食べないであろう。」 それから里人は教え通りに供物を作るようになったといいます。 これが粽の始まりだといわれます。
|