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平賀源内(1728〜1779)は、四国の高松藩志度浦の生まれです。足軽相当の身分でしたが、藩主松平頼恭に登用され、薬草園の仕事に就きます。25歳頃の1年の長崎遊学後、藩を退き、大坂を経て江戸に出ます。それからは、未曾有の大規模な物産会を計画実行する、戯作・歌舞伎の脚本を書く、エレキテル(摩擦により静電気をおこす機械)・石綿から作った耐火織物である火浣布(かかんふ)を作る、鉱山の開発をする、油絵を描く等々実にさまざまな方面にかかわり、世間をあっと驚かせながら活躍します。しかし、40歳を越した頃から仕事がはかどらなくなり、不運なことに52歳の時、人を殺傷したかどで獄中に入れられ、そこで死亡します。その才気を惜しみ、死を悼む声は多かったようです。
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