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良寛と白雪こう

掲載日2002年8月16日
良寛さん

「良寛さん」「良寛さま」として親し まれる良寛(一七五八〜一八三一)は、 越後(新潟県)に生まれ、出家して諸 国を遊行しながら数多くの和歌、詩、 俳句、書を残したことで知られます。 有名な歌「霞たつながき春日を子供ら と 手まりつきつつこの日暮らしつ」 からは、子供たちとの語らいを楽しみ、 遊びに興じる優しい老人の姿が想像さ れることでしょう。


白雪こうを望んだ手紙

出世の願望もない良寛は、生涯、住 職にもならず、人々の施しから日々の 糧を得ていました。そのため良寛の書 状には、酒、餅などを送られた折の礼 状が多数残っています。なかでも病に 倒れ衰弱の激しい時分に、滋養に富む といわれた白雪こうを望んで書いた手 紙は、ふるえの見える筆跡が哀れさを 誘い、読む人の心を打ちます。その文 面は「白雪羔(こう)少々御恵たまは りたく候 以上 十一月四日 菓子屋 三十郎殿 良寛」という短いもの(新 潟県柏崎・木村家蔵)で、死を翌年に 控えた文政十三年(一八三〇)十一月 に出雲崎の菓子屋にあてた手紙と推測 されています。食物ものどを通らない ほど弱りきっていた良寛が望んだ白雪 こう…。いったいどんな菓子だったの でしょう。


作り方

江戸時代の製法書によると、白雪こ うは米粉、もち米の粉、砂糖に蓮の実 の粉末などを混ぜ、押し固めて蒸すも ので、口に入れれば雪のように溶ける ことから、その名がついたとされます。 「七人目白雪こうで育て上げ」(柳多留) の川柳があるように、江戸時代には 砕いて湯にとかしたものが母乳の代用 にされました。しかし、白雪こうは次 第に姿を消してしまうのです。


落雁との違い

白雪こうと似た菓子に落雁がありま すが、落雁が熱処理をした米粉を使う のに対し、熱を通していない米粉を用 い、最後に蒸すという違いがあります。 白雪こうは落雁が広まるにつれ、廃れ てしまったのかもしれません。時代の 流れとともにこうした菓子から滋養を 得る必要がなくなったともいえるでし ょう。白雪こうは清貧にいきた良寛の 人生を語っているようにも思えます。



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