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皇女和宮と月見饅

掲載日2002年7月16日
不思議な月見

仁孝天皇の第8皇女和宮・和宮親子内親王 (かずのみやちかこないしんのう・1846〜77) は、徳川幕府14代将軍家茂に嫁し、幕末から明治維新の激動の時代に波瀾の生涯をおくった女性です。


政略結婚によって夫婦となった家茂と和宮。
しかもわずか4年後に家茂は亡くなってしまいますが、二人の仲は睦まじかったと伝えられています。幕府の公式記録『続徳川実紀』には、長州征伐のために大坂城に滞陣していた家茂に、江戸の和宮から落雁などの菓子が届けられたことが記されています。


家茂の死後、幕府の崩壊をまのあたりにした和宮は、徳川家の存続のために朝廷に嘆願するなど奔走しています。


饅頭の穴から月を見る?

虎屋には、和宮に関する注文記録がいくつか残っており、万延元年 (1860) 6月16日には「御月見御用」と記されているものがあります。月見といっても6月ですから仲秋の名月を愛でるわけではありません。当時宮中や公家で行われていた現代の成人式のような儀式で、饅頭の中心に萩の箸で穴をあけ、そこから月を見るという不思議な風習です。


月見のご注文

注文記録には、水仙饅頭100個、大焼饅頭200個、椿餅30個などの菓子が見え、これらはおそらく周囲の人々に配られたり、お供えにされたものでしょう。そして、主役の月見饅頭は1個納められています。


大きさは定かではありませんが、直径7寸 (約21cm) と書いた皇族の日記もあることから、相当大きかったようです。月を見るために手に取った時は、結構重かったのではないでしょうか。中心には穴を開ける目安として赤い丸の印が、つけられていました(写真参照)。


和宮はこの時、現在の年齢でいうとまだ14歳になったばかりでした。 (ひのえうまの生まれを忌み、前年生まれとしていた。) 降嫁を承諾したのは同年8月15日とされ、6月は幕府の再三の申し入れを孝明天皇が拒否し続けており、幕府の将来に不安を抱いていたのでしょう。しかし、翌年には京都を離れ、江戸へ嫁ぐことになるのです。



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