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5代将軍徳川綱吉 (1680〜1709在職) は江戸時代の中期、華麗な文化が花開き、菓子を含む食生活も豊かになった元禄期に在位した人物です。儒教や仏教を重んじ、護国寺や湯島聖堂を建立したほか、生類憐みの令では特に牛、馬、犬、鳥を過剰に保護する政策をとりました。

虎屋には元禄10年 (1697)、朝廷 (宮中) より綱吉に菓子7種 (麻地飴・南蛮飴・源氏かや他) が贈られた時の記録が残っています (『諸方御用之留』)。これらはすべて干菓子で、2段の桐箱に詰められ、京から江戸へと送られました。

その中から、今回は「麻地飴」 (現在虎屋では「浅路飴」の表記) をご紹介します。この菓子は求肥 (白玉粉を水で溶いて蒸し、砂糖、水飴を混ぜて練り上げたもの) の周囲に、炒った白胡麻をつけたもの。江戸時代にはよく作られており、胡麻が麻の実に似ていることから「麻地飴」と呼ぶようになったとも伝えられます。

普通「飴」というと、ドロップやのど飴などを連想しますので、求肥の菓子に「飴」とは少し違和感を覚えるかもしれません。しかし当時の飴とは、米飴など日本古来のものに加え、麻地飴のような求肥、さらに黄粉からつくる豆飴 (すはま) などを含めた総称でした。従って実は全く不思議なことではありません。

2002年5月に虎屋ギャラリーにて開催した『殿様と和菓子』展でも綱吉を紹介しました。動物を異常に大切にするあまり、民衆に負担を強いた恐いイメージの先行する綱吉が大の菓子好きだったとしたら、意外性があって面白いところですね。
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