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徳川家康と嘉祥

掲載日2002年3月1日
和菓子の日のルーツ

かつて和菓子が主役をつとめていた行事が 6月16日にありました。その名前を嘉祥 (かじょう) といい、起源は平安時代に遡 (さかのぼ) るともいわれますが、はっきりしておりません。室町時代の朝廷では饅頭などが贈答されていました。また武家の間では、この日に楊弓 (ようきゅう) という短い弓矢で的を射て、負けた者が勝者に中国の銭「嘉定通宝」 (かじょうつうほう) 16 枚で買った食べ物を贈りました。銭の「嘉」と「通」の字を読んだ音が、勝に通じることから武家に尊ばれました。このようなことから嘉祥は嘉定とも書きます。


慶長8年 (1603) 、征夷大将軍となって江戸幕府を開いた徳川家康 (とくがわいえやす) は、戦国時代を終わらせ戦争のない平和で安定した社会の礎を築きました。


幕府を開く以前の元亀3年 (1572) 、家康に最大の危機が訪れます。甲斐 (現在の山梨県) の武田信玄が上洛の軍をおこしたのです。家康は、三方ケ原 (浜松市の西方) において信玄の軍勢を迎え撃ちました。結果として大敗を喫したのですが、半分にも満たない軍勢で、同盟者織田信長のために戦いを挑んだ家康の律儀、勇敢さは賞賛されます。徳川家にとって三方ケ原の戦いは、記念すべき大敗した合戦でした。


三方ケ原の戦いの前、羽入八幡にて戦勝を祈願した家康は、裏に「十六」と鋳付けられた嘉定通宝を拾って縁起をかつぎ、家臣の大久保藤五郎 (おおくぼとうごろう) は手製の菓子を献上します。この故事にちなんで嘉祥は、江戸幕府でも盛大に行われました。江戸城大広間 500 畳に 2万個をこえる羊羹や饅頭などの菓子が並べられ、将軍から大名・旗本へ与えられます。もっとも将軍が手ずから菓子を与えるのは最初だけで、以後は途中で奥へ退出してしまい、大名・旗本は自ら菓子を取りました。2代将軍秀忠 (ひでただ) までは、将軍自ら菓子を与えたので数日肩が痛かったとのことです。ちなみに家康に菓子を献上した大久保藤五郎は、後に主水(もんと)を名乗り、幕府の御用菓子屋となり、嘉祥に深く関わっています。


明治以後、嘉祥の儀式は廃 (すた) れてしまいました。昭和54年 (1979) 、全国和菓子協会では嘉祥の行われた 6月16日を和菓子の日と定め、さまざまな行事を行っています。また、虎屋では幕末頃に御所へお納めした七種類の嘉祥菓子をはじめ嘉祥饅頭や嘉祥蒸羊羹を販売しています。



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