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織田信長と金平糖

掲載日2000年12月1日
甘い宝石・金平糖

人間五十年 下天のうちを比ぶれば
夢幻のごとくなり ひとたび生を受け
滅せぬもののあるべきか…


ご存知『敦盛』の一説です。この『敦盛』をこよなく愛し、日本の歴史に名を残した人と言えば戦国大名織田信長 (1534〜82) が有名です。信長は、楽市楽座や関所の廃止など流通経済の改革や、常備軍の設立による兵農分離、身分にとらわれない人材の登用など、当時としては革新的な制度を導入し、日本の近世の扉を開けた人物です。


また、武将としての信長は、天文12年 (1543) に伝来した鉄砲を有効に使用するとともに、西洋文化に強い関心をもち、南蛮風の衣装に身を包んで悦に入ったという逸話も残しています。


当時、流入した西洋文化の多くは、キリスト教の宣教師や貿易商人たちによって伝えられました。その中に、カステラ・金平糖・有平糖・ボーロなどの南蛮菓子も含まれています。特に宣教師たちは、まだ砂糖が貴重で甘味に乏しい日本の人々に対して、砂糖をたくさん使用した南蛮菓子を配ることが、布教に有効であることを知っていたようです。


宣教師ルイス・フロイスの書翰によれば、永禄12年 (1569) 4月16日に、二条城に信長を訪ねた時、ろうそく数本とフラスコ入りの金平糖を贈ったことが記されています。もし信長が外国に対して閉鎖的であったら、和菓子のル―ツの一つである南蛮菓子が、日本中に広まるきっかけは無かったかも知れません。


信長の頃、既に一部が伝承されていた南蛮菓子は、その後も長崎出島でのオランダ貿易によってますます広まっていきました。江戸時代元禄期には、盛んに国内で作られるようになったいたようです。貞享5年 (1688) 刊の井原西鶴著『日本永代蔵』には、金平糖の製法が記され、当時の金平糖の核には胡麻が使用されていたこともわかっています。



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